「宇多田と林檎がこんな曲歌うなんて俺らほんと未来に生きてんな」
宇多田ヒカルのニューアルバム「Fantôme」を聴いた最初の感想だった。
「家族の為にがんばる 君を盗んでドライブ」
「朝昼晩とがんばる 私たちのエスケープ」
こんな生活感あふれるパンチラインが、彼女たちの口から出ることにびっくりしたのだ。
宇多田ヒカルの記念すべきファーストアルバム「First Love」がリリースされたのは98年。
当時の私は中学生になったばかりだった。
それが今や、歌姫も私も齢30を越えているという事実。
こわい。
時間の流れ超はやい。
私は結婚・出産した女性アーティストに若干のトラウマがあった。
子を産むとデトックスしたかのように、楽曲の雰囲気が変わったりするから。いや、誰とは言わないけど。
男は50になっても60になっても「イェーロックだぜ」と言うようなおじさんがたくさんいるのに、なぜか女性アーティストだと、これがそうもいかないのだ。
狂ったようにギターをかき鳴らしていたかと思えば、数年後にはやたら落ち着いていたりなんかして。
結婚し、妊娠し、子を産み、育児に悩んだりする。
これら一連のライブイベントが、感受性豊かな彼女たちの歌に影響を与えないわけがない。
わかっちゃいるけど
「女は永遠の厨二病でいられないのだろうか」
とちょっと切なくなったりもする。
この切なさは、変化を受け入れたくない私にこそ起因するものなんだろうな、と思いつつも。
「30代になったらちゃんとした喪服を用意しなさい。使う時が増えるから。」
実家で親に言われた一言。
ふーん、とスルーしていたら、30を手前にして中学の時の部活の先輩が亡くなった。死因は交通事故だった。
「あ、人って死ぬんだ。」
冷静に考えればごく当たり前のことが、唐突に現実味を帯びた。
私の祖父母はすでに他界していたけれど、それはあくまでずっと上の世代のことで、まさか同年代があっけなく逝ってしまうとは、夢にも思っていなかったのだ。
10代で日本を代表するスターになり、20代で結婚と離婚を経験し、順調だった仕事を休業し、母を亡くし、30代で再婚し、子どもを産み育てている。
彼女のニューアルバムには生と死の匂いが混在していて、宇多田ヒカルという人の重ねた歳月の濃密さに、その人生に、改めて想いを馳せずにはいられない。
今回のアルバムに対するリアクションを見ていると、みな人生をふりかえざるを得ないかのように、何かを語りたがるきらいがある。
「Fantôme」はもしかしたらそういう装置なのかもしれない。
彼女の歌が本アルバムで変わったのは事実だが、不思議とそこには失望も違和感もなく、積み重ねられた人生の営みと1人の女性のたくましさがあるばかりだった。
それは決してマッチョな強さではなくて、何かを受け入れたり自分を変えることでうまれる生きやすさみたいなもの。
宇多田ヒカルはしなやかな人だ。
私はこの人の哲学が好きなのだ。
ビジュアルや楽曲や歌詞が好きな歌手は多々あれど、その人の持つ考え方が好きなアーティストというのはあまりないように思う。
ニューアルバムを1人夜道で聴きながら帰ると、中学の時に、部活のメンバーで行ったカラオケのことを思い出した。
田舎の中学生だった私たちが、部活仲間でいく初めてのカラオケに興奮して、待ち時間に駐車場ではしゃいで近所の人に怒られたことは強烈に覚えているのだが、実際のカラオケの中身はあまり覚えていない。
あの時はみんなで椎名林檎やヒステリックブルー、確か宇多田ヒカルも歌ったはずだ。
今回の宇多田のアルバムを亡くなった先輩が聴いたらなんと言っただろうか。
リアクションをイメージしてみるけれど、私の頭の中の先輩は今でもセーラー服のままだ。
「宇多田フンイキ変わったねー。でも、いいじゃん」
そうそっけなくかえされる気がする。